2020年1月23日木曜日

中学歴史 墾田永年私財法



定期テストで本当によく出る「墾田永年私財法」について、教科書に書かれていない面を中心に見てみました。

口分田が不足してきた

律令ができ、国の仕組みが整ってくると役人の数が増え、身分に応じて与える田が増えてきました。さらに人口が増加し、口分田が不足。

口分田が不足した理由のもう一つは、重い労役やきびしい税から逃れるために、口分田を捨てて逃亡する農民が増えてことです。捨てられた田は荒れ果ててしまい、口分田として使えなくなりました。


三世一身法(さんぜいっしんのほう)

723年、口分田を増やすために三世一身法が出されます。

新しい灌漑施設を設けて土地を開墾した者は、三世代にわたって土地の私有を認めるというほうです。

すでにある灌漑施設を利用した場合は、一代に限り土地の所有を認めました。

でも結局は、最終的に国に取り上げられることになるので、あまり効果が出ませんでした。


墾田永年私財法

そこで、自分で開梱した土地の永久私有を認める墾田永年私財法が743年に出されます。

しかし、私有には条件がありました。

1、身分によって開墾する土地の面積の制限があった。
2、役所に申し出て開墾が許された土地は、三年以内に開墾が終わらないとその権利を失う。※急性期になるとこの条件はなくなります。

この法律が出されたことで、公地公民がくずれることになるのですが、なぜ公地公民を崩してまで墾田永年私財法を出したのでしょうか。


墾田永年私財法を出した理由1

当時の朝廷はこう考えていたという説があります。

① 田の私有を認めても、税を免除するわけではないので国の収入は増える。
② 口分田は増えないが、耕地全体が増えるので収穫量が増え、国の収入が増える。
③ 開墾した者は、他を私有することができるので喜んで開墾をし、田がどんどん増えていき、国の収入が増える。

つまり、公地公民でなくても朝廷の収入は増えるからいいのではないかということです。


墾田永年私財法を出した理由2

別の説もあります。

墾田永年私財法が出された743年という年は、大仏造立の詔を出した年です。

大仏を作るには多くの人や莫大な費用が必要になります。これを朝廷だけで負担することはできません。

貴族や役人、地方の有力者の協力が必要になります。

そこで、彼らが喜ぶ、私有地を認める墾田永年私財法が出されたのではないかという説です。

これらの人々は、口分田を捨てて逃げた農民などを使い、開墾を進め私有地(荘園)を広げ、力をつけていくようになりました。


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