2020年1月17日金曜日

中学歴史 大陸の文化を伝えた遣唐使って?



遣唐使は、奈良時代の学習で出てきます。

奈良時代には、唐へたびたび遣唐使を送り、唐の進んだ文化や制度が日本に伝わりました。

さてこのたびたびというのはどれくらいなのでしょうか?

毎年ではありませんよね、では3年おき、それとも5年おきくらいでしょうか?

今の感覚からすると、「たびたび」というとこのくらいの頻度を思い浮かべますが、当時のたびたびというのは20年に1回くらいでした。


遣唐使はとても危険

遣唐使は、朝廷が唐に送った公式な使節です。

奈良時代によく名前が出てきま市が、最初に遣唐使を送ったのは630年、飛鳥時代でした。

この630年から894年に遣唐使が廃止になるまで遣唐使の任命が20回(19回という説もある)ありましたが、そのうちの4回は中止になったので16回派遣されています。

この16回で40隻の遣唐使船が船出し、12隻が遭難するというとても危険な旅を遣唐使たちはしていたのです。

遣唐使船に乗ったのは、日本の代表の大使、副大使、通訳、事務をする役人、留学生、留学僧、旅の無事を祈る神主や占い師も乗っていました。

大使と副大使はそれぞら別の船に乗りました。これは、船が難破してもどちらかの船が大陸にたどり着ければよいと考えていたからです。

このため、大使と副大使がどちらの船に乗るかで争うこともありました。

誰だって、安全な船に乗りたいですからね。


遣唐使船の大きさ

遣唐使船の大きさは(復元船によると)、全長25メートル、幅9.7メートル。

2枚の帆があり、その帆は竹や葦で編んで作られていました。どう考えても風を十分にはらむと思えません。

このため、風によっては人が櫓をこいで(オールを使って)進んだそうです。

1隻に120~150人の人が乗船しました。

この大きさの船が、7世紀には2隻が1組となって、8世紀には4隻が1組となって唐に向かったのです。

701年から奈良時代の終わりまでに遣唐使は5回派遣され、4隻の船がすべて無事で帰国したのは1回だけというとても危険な旅をしていました。



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